2001年暮れに、某新聞の日曜版に連載になっていた記事を再度紹介致します。全5回。敬称略
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ひろみちゃんのお兄さん(岩崎弘太郎さん)のブログ
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新・若草物語=岩崎ひろみ(1)試験はいつもトップの天才  ■柏木純一■(以下省略)
 本人は、多分、いや間違いなく、この書き出しの形容を嫌がるに違いない。そして、こう反論するだろう。「もう昔のことですよ。いつまでも、その役ばかり強調されるのは…」
 だが、彼女はインタビューの中で、はっきり言い切っているのだ。「自分が女優としてやっていけるのではないか、やれそうだ、と思った、感じた作品ではありましたね。」だから、岩崎ひろみーーと言えば、 やっぱりNHK朝のテレビ小説『ふたりっ子』(96年10月〜97年3月)をあげざるを得ないのである。
 この朝ドラは、菊池麻衣子演じる超優等生麗子と、岩崎が扮する暴れん坊の妹香子の双子姉妹のサクセスストーリー。大阪特有のソース系のコテコテ乗りをベースに、劇画タッチでハイテンポな展開に加え、 プロ棋士を目指す岩崎の強烈な“アホな妹”の演技とがあいまって、高視聴率を獲得し続けた話題の作品だった。
 その岩崎に取材に行く事になった私に、劇団『若草』の社長である八重垣緑は、そっとアドバイスをしてくれた。「大変な女性よ。くれぐれも気をつけてね!」。 岩崎を幼いころから面倒をみてきた八重垣は、岩崎の育ての親と言ってもいい。ちなみに八重垣は、若くして亡くなったものの、その詩が最近、再評価されている天才詩人・金子みすゞの姪にあたる。
 〈大変な女性?〉――首をひねる小生に、八重垣は続けた。「なんてたって154ですからね」。「身長のことですか?」。「違うわよ、IQ。つまり知能指数」。ナーニ、ナニ、ナニ、ナニ、IQが154!?
 IQ(intelligence quotient)は知能の相対的高さを意味する概念で、その人の精神年齢の高さを、その人の暦年齢との相対比で表そうとするもの。公式としては、精神年齢(知能テストの得点)を暦年齢で割って100をかけて 表される。IQは生涯不変ではなく変わるものだが、100がいゆる平均値で、150を超えた人は天才と呼んでもいいらしい。
 開口一番、私は尋ねた。「IQが154って本当なんですか?」岩崎は「子供のころの話ですよ」とニベもない。しばし沈黙の後、さらに質問を続けた。「現在でも記憶として残っているのは、何歳ころのことからなんですか?」。 「2歳の時にステージで髭ダンスを踊って、帰り道に母と一緒にカレーライスを食べて帰ったことは、はっきり覚えていますね」
 岩崎は現在25歳。ということは23年前のことである。これだけでもIQが100以下のオジサン記者には驚きなのに、驚異的な記憶力はこんなものではなかった。
 「私のデビュー作ですか?テレビには赤ちゃんのころから数多く出演していましたが、それはデビューとは言い難いですよね。やはり、ちゃんと台詞があってと言えば、4歳の時のNHK新銀河ドラマ『新東京物語』だと思います、ハイ」
 主な出演者は大友柳太朗や壇ふみらで、舞台は尾道。だから方言で苦労した(?)話や、ロケ地でのエピソードなども詳細に覚えており、ディテールも語ってくれたのだ。そしてケロリと言ってのける。「学校で一番楽しかった日は、テストの日と通信簿をもらう日でした」
 家にいる時は、テレビを観ているか、読書をしているか、音楽を聴いているか、友達と電話でおしゃべりをしているかだったという。教科書を自宅に持ち帰ったこともなければ、授業でノートをとったこともないのだそうだ。それでも試験はいつもトップ。やはりIQ154のなせる技なのか?
 「一つは、各教師の性格を理解さえすれば、二手先、三手先が読めて出題の予測ができたこともありますが、頭の良い父と母の遺伝子を受け継いだだけなんですよ。一生懸命に勉強して良い点数をとれたのなら私の努力と言えますが、ホントに何もしませんでしたから…。両親のおかげ、ただそれだけなんです」
 「4歳の時のことなら覚えていますよね?」と逆に彼女から質問されたが、返事もできずに当方はオロオロするばかり。天才・女優岩崎ひろみの取材はこうして始まった。 

新・若草物語=岩崎ひろみ(2)「自分」に正直すぎて・・・・
 芸能界入りの理由や動機はさまざまである。だが、圧倒的に多いのが「芝居が好きだから」「有名になりたい」「お金が欲しい」「スポットライトを浴びたい」――だ。
 ということは、自分の意思で入ったかどうかはともかく、本人は芸能界入りを認識している。ところが、IQが154の“天才女優”岩崎ひろみの場合は違っていた。それも当然、生後6ヶ月の赤ちゃんの時なのだから。
 岩崎が産声をあげた時、4歳年上の兄弘太郎はある児童劇団に所属していた。その劇団から電話がかかってきた「NHKが赤ちゃんを探しています。弘太郎君の妹さんは、ほとんど泣かないと聞きました。NHKに行っていただけませんか?」
 岩崎を見たスタッフは即断、その場で出演が決まった。銀河ドラマ『女の一生』で、山本圭と樫山文枝の子供役だった。これが、岩崎のテレビ初出演の作品である。
 それにしても、人生は何が転機になるか分からない。だから面白いのだが、それはともかく、この赤ちゃん出演がきっかけとなって、岩崎のもとにはドラマやCMの依頼が舞い込むようになる。そして1980(昭和53)年、3歳の岩崎は自らの意思で劇団若草に入団した。
 当時、若草では演技、歌、バレエ、日本舞踊の四つに関して、半年に1回、テストを兼ねた発表会が行われていた。岩崎はいつも1番で、総合最優秀賞を獲得し続ける。一方、学校の試験も、仕事で何週間も登校できなくても常にトップだった。
 仕事も順風満帆。入団の翌81年には『華麗なる遺産』で帝国劇場の舞台に立ったのを皮切りに、銀河テレビ小説『新・東京物語』(NHK)、『娘よ!』(日本テレビ)、『放浪記』(芸術座)など、数多くの舞台やテレビをこなし、名子役・岩崎ひろみの名前は世に知れ渡ることになる。
 「褒められるのが楽しくて、若草に行ってましたね」と正直に打ち明ける岩崎だが、子役時代の一番思い出に残る作品は?の問いには、しばらく考えてから「…やはり『アニー』(89年)ですね」と答えた。
 現在も毎年公演されているのが証明しているように、観る側だけでなく、演じる側にとっても非常に人気の高いこの『アニー』は、ブロードウェーで77年から6年間、公演回数2000回以上という超ロングランを記録したほか、トニー賞7部門を受賞したミュージカルだ。
 両親を探すため、孤児のアニーは孤児院を抜け出す。そして、さまざまな困難にあいながらも、人々の応援や愛情に支えられ乗り越え、やがては大富豪の養女になって幸せをつかむハッピーエンドの物語。
 主役は毎年、オーディションで決められている。実は、岩崎は前年の88年のオーディションも受け、最後の最後に不合格になると言う“苦い経験”を味わわされているのだ。
 歌、踊り、台詞など、すべて自信があった。受かると信じて疑わなかった。周囲の誰もがそう思っていた。それなのになぜ?・・・・。合格した時、スタッフはこう説明した。「ほとんどは君を推したんだけど、演出家が反対したからですよ」
 面接試験の時、審査員が質問した。「君はどの役をやりたいの?」。当然、全員が「アニー」と答える。続く「アニー以外の役はダメなの」には、ほとんどが「ウーム、舞台に立てれば……」と変える。しかし、岩崎は違っていた。はっきりと言い切ったのだ。「アニー以外はイヤです」
 岩崎は自分の気持ちを正直に吐露しただけである。しかし、そのことを演出家はどうとらえたのだろう。実力の世界であるべきはずが、それ以外の要素で決まり、進められていく現実。12歳という多感な彼女は、観念としては理解したが、皮膚感覚では分かりたくなかったのに違いない。
 自分の行き方に、あまりに正直すぎる――とも言われる岩崎。
 不条理にも似たこうした社会現象に対する素朴な反発や思いが“棘”となって、現在もなお彼女の潜在意識の中に突き刺さっているのかもしれない。    

新・若草物語=岩崎ひろみ(3)開き直ってアホな役を好演
 幼いころからテレビ、舞台、CMなどで活躍してきた岩崎ひろみだが、その名が全国津々浦々知られるようになったのは、やはり1996(平成8)年10月から放送されたNHK朝ドラ『ふたりっ子』だろう。
 通天閣と坂田三吉と“ダメ虎”阪神タイガースが大好き――という大阪ナニワの豆腐屋を舞台にした双子の姉妹の物語だった。
 スタート当初、視聴率はそれほどでもなかった。ところが、すぐに30%の大台を突破するのだ。“オバケ”と言われている『おしん』(83年)の50%台は別として、平均20%台半ばで推移していた朝ドラだけに、NHKが「衛星放送時代を迎えた今の30%は過去の35〜40%に等しい」と胸を張った のも理解できなくもない。
 それまでの朝ドラにはなかったハイテンポに加え、「濃いめの味付け。そこまでやるか、と言われつつもベタつかないように配慮した演出」(チーフプロデューサー、二瓶亙)もヒットした原因の一つだろう。
 また、子役時代を演じた三倉茉奈・佳奈姉妹の演技がドラマの人気に拍車をかけた事も事実。だが、大ブレークした一番の貢献者は岩崎だった――と報じてるメディアが少なくないのだ。
 彼女の演じた「香子」は天衣無縫、男勝り、負けず嫌い、アホまるだしの一直線だが、オーロラ輝子と駆け落ちした父親をそれでも慕うケナゲな娘でもあった。〈岩崎ひろみは、これが地なのではないか〉と感じさせたほどのアホのはまり役だった。IQ154の岩崎が披露した二律背反の香車のお香。さぞや役作りに悩み、苦労したに違いないと思ったら……。
 「香子みたいに無欲で真っすぐな人間なんて、世の中にはまずいないですよね。ですから、撮影に入る前は何からイメージを膨らませればいいのか悩んだのも事実ですが」と言ったうえで次のように打ち明けた。
 「モデルになる人がいないことは、つまり私自身が香子なんだ。私が香子になって、好きなようにやれば香子になるんだ。そう開き直ってからは、誰からも愛されるアホになろうと、楽にやれるようになりましたね」
 『ふたりっ子』はNHK大阪の製作だった。局は〈ホテルより落ち着けるだろう〉と週間の賃貸マンションを用意した。岩崎は約9ヶ月間過ごしたが、逆に落ち着かなかったという。家具などの備品が備え付け。自分のものが何もないので仮の宿のような気がしてならなかったようだ。
 そして、「目線の高い生活を強いられましたね」と当時を振り返る。家具の違いを〈目線の高い生活を強いられた〉とは、感性が研ぎ澄まされているいかにも岩崎らしい表現だが、それはともかく、この朝ドラのオーディションの時も、ミュージカル『アニ―』の時と同じように、岩崎は審査員の質問に〈主役以外はイヤ〉と答えている。だがそれだけではなかった。
 例えば、オーディションの現場。その場がとても楽しくて、にこやかな雰囲気の所だったらほほ笑むぐらいはするが、自己PRのための作り笑いなどは一切しないのだ。
 「私は芝居という部分だけにオーディションを感じているわけですから、演技で楽しそうにしてください、と言われれば楽しくもしますが、それ以外は名前と所属事務所しか言ったことがないんですよね…だから、最初は“何なんだ、こいつは”と思われてしまうようです……」
 『ふたりっ子』の収録がすべて終わった時、演出家の一人が岩崎に声をかけてきた。「単なる生意気でなかったことが分かりましたよ、香車のお香さん!」。何のことか理解できないでいる岩崎に、演出家はさらにこう続けたのである。
 「正直言って、初めは扱いにくい子だと思っていたんだけど、一緒に仕事をしてみたら、本当に芝居を、それもばかが付くほどまじめにやる子だってことが分かった。また、芝居が心底から大好きだということも。長い間、ご苦労様でした。」
 この一言で、疲れもすっかり吹き飛んだ岩崎であった。

新・若草物語=岩崎ひろみ(4)他人事と思えぬ『人間失格』
 繰り返し反発し、あるいは否定し、ときには存在そのものが疎ましく感じることさえある。それが「親」というものだろう。ところが、岩崎ひろみの場合はちょっとどころか、かなり違うようだ。
 勉強ができたのは、「頭が良かった父と母の遺伝子を受け継いだだけ」と公言してはばからず、初恋やボーイフレンドのことまで詳細に打ち明け、ごく最近までは親の写真を持ち歩いていたというのだから。
 そんな岩崎の“自慢の両親”は千葉県に住んでいる。現在、父弘光59歳、母啓江58歳。資料では、ともに樺太出身で北海道育ち。そして京成電鉄八千代台駅前で〈中華料理店経営〉とあった。 ところが、薬剤師でもある啓江は笑いながら訂正した。「違いますよ。ラーメン屋、パンケというラーメン屋です。人気のあるのは、そうですね、味噌ラーメンと…」
 アッケラカンとして、なんともすがすがしい。娘や息子が芸能界で売れっ子になると、仕事をやめてステージパパやママになるケースも少なくないが、岩崎家は違っていた。ちなみにパンケとはアイヌ語で「水の集まる場所」の意味だという。
 そんな両親の影響もあってか、岩崎は読書家である。幼稚園のころ、駅の売店にあった赤川次郎の『三毛猫ホームズ』シリーズを啓江に買ってもらったのがきっかけとなって“本の虫”に。登校時、休み時間、仕事の合間、寝る前と時間があれば本を読んできた。
 太宰治、坂口安吾、高村光太郎、夏目漱石、三浦綾子、カフカ、アガサ・クリフティーets……。今でも印象に残っているのは中3の時に最初に読んだ『人間失格』だ。
 〈恥の多い生涯を送って来ました〉の書き出しで始まる『人間失格』は、告白の形で自らの軌跡を描いたものである。太宰にとっては最後から2番目の作品。主人公の「葉蔵」は貴族院議員の父を持つ、東北の名家の子息だが、他人とのコミュニケーションを持つことができない。
 上京して進学するものの、酒とたばこと女の日々に明け暮れ、あげくのはてはカフェの女給と心中未遂事件を起こしたり、非合法活動で警察に捕まったりと放蕩の限りをつくす。そして、鉄格子の窓が付いた病院に収容されてしまう・・・。
 人間の最深部に触れた作品と評されたこの『人間失格』は、1948(昭和23)年に雑誌『展望』に3回にわたって掲載されたが、連載途中で太宰が玉川上水で入水自殺を遂げており、自殺を前提にして書いた事からも大きな反響を巻き起こした。
 岩崎が述懐する。「まず葉蔵が自分によく似ていると感じましたね」。子供のころから、自分は周りに見られている。だから良い子でいなきゃいけない。テストで100点取らなければと実行した。先生は「よく頑張った」と褒めたが、同級生からは「ひいきされてる」とイジメられた。
 ところが、舞台などで主役を演じる事になると、みんな手のひらを返したようにチヤホヤするようになった。〈人間なんてこんなもの……〉
 普通の人間ならここで、ジ・エンドなのだろうが、IQ154の岩崎は違っていた。反面教師だと思っていた『人間失格』を何度も読み返した結果、「自意識過剰なところが自分に似ている」ことを自覚・認識するようになったのだという。
 葉蔵が他人の目を気にし、〈他人と関わるには道化しかない〉と言うフレーズは他人事とは思えなかった。それゆえ彼は堕ちていった……しかし、自分は息を抜いていけば、そうならないようにいけると思えるようになった。あれこれ思い悩んでいたことは、実はたわいもないことなんだ。
 「そうしたら……。不思議なものですね。裏切られるのが嫌で、友だちも作れなかった私なのに、親友にも巡り会えましたから」
 NHKの朝ドラ『ふたりっ子』に出演した時、脚本を書いた大石静が岩崎にこう言った。「あなたは台本を読むのが的確です。他の誰よりも、書き手にとっては、あなたの読み方が一番的確だと思っています」

新・若草物語=岩崎ひろみ(5)もっと別の「大輪の花を」
 追い求めていた役柄と出合い、本当に〈これだ!〉と思うまでのめり込んで感情移入してしまうと、撮影の後も役の感情を生活の中まで引きずってしまうことがあるという。
 がんとの壮絶な闘いなど、渡哲也の半生を克明に追った連載を書いた時に吉永小百合に取材したことがある。その時、彼女が言った言葉が忘れられない。「高倉(健)さんと『動乱』という映画を撮った時も、一年間くらい自分の気持ちがその役から離れませんでした。映画の完成度が高かったこともあるのでしょうが……」
 ライフワークとして、原爆特集の朗読を地道に続けている、いかにも吉永らしい感性を彷彿とさせるが、現在25歳の岩崎には、役柄に対するそうした“思い入れ”はないようだ。「余韻にひたることはありますが、すぐに戻ってしまいますね。」
 どんな役でもこなし、どんな色にも染まるのが役者のあるべき姿だと思っている。だから、切り替えができることは大切なこと。岩崎ひろみを「可愛い」とか「きれい」とかいうふうに見られたくもない。役者として、どういう仕事をしているか、という部分を見てもらいたい。自分は吉永みたいに純粋ではないし・・・。
 だからなのか、目指す女優もいなければ、やってみたい役柄もない、と言う。しかし――例えば、大竹しのぶ。彼女ほど感情のスイッチの切り替えが簡単にできる人はいない、と感じている。ところが「大竹さんのようにはなりたくない」とも。
 もし、自分が大竹のような芝居ををしたとしても、それはモノ真似に過ぎない。また自分の個性を殺し、嘘をつくことにもなる。では、岩崎にとって大竹しのぶの存在は何なのかと言えば、女優である岩崎ひろみをヤル気にさせる、ヤル気を起こさせる大きな原動力と言い切る。
 生後6ヶ月の赤ちゃんのころからテレビに出て、3歳の時には自らの意思で劇団若草に入団し、これまで芝居を続けてきた。女優という職業が自分に向いていないのではないか、と考えたことさえ一度もない。
 「私はお嬢様育ちでもないですし、ぬるま湯につかって生きてきたつもりもありません。自分の中では精いっぱい激動の人生を行き抜いてきたつもりです」。そして、「とにかく私は舞台に立っている時や、芝居をしている時が一番リラックスするんですよ」と嬉しそうな表情で語る。
 ところが、彼女の名前が全国区になったNHKの朝ドラ『ふたりっ子』以降は、目につくのは海外リポーターやバラエティーばかりで、“本業”ではなかなか姿を見かけない。
 子役から大人の女優へ――の端境期にあたっていることもあるだろう。が、本人は「香子のイメージがあまりにも強く残ってしまったことが大きいのではないか」と分析した。
 ドラマのヒロインのイメージで見られるのは、仕方ないどころか役者の勲章と言ってもいい。二木てるみや葉山葉子の時にも少し触れたが、役者はひとつのイメージを持ってしまえば楽である。その路線を守っていれば大きくつまずくことはないし、ファンも安心して見ていられる。しかし、脱皮を図ろうとする際は阻害要因ともなる両刃の剣でもあるのだ。
 昨年4月、岩崎は約20年間所属していた若草をやめて新しい事務所「スターダストプロモーション」に移った。常盤貴子、森尾由美、松雪泰子、梅宮アンナらを抱える業界では知られた大手のプロダクションである。
 女優として大きな花を咲かせれば、もっと別の大輪の花を咲かせたいと望むのは、IQが154の天才女優である岩崎ひろみも同じだ。「若草のころは現場行きなどすべてを自分でしなければなりませんでしたが、今は迎えの車も来てくれるので、少しは寝坊ができるようになったくらいですよ、まだ」と、あどけない仕草を見せた。
 童心と知性が混在する不思議な魅力と個性を持ち合わせた岩崎ひろみ。折り紙つきの演技力がこの先、積み重ねられる年齢とあいまって、女優としてどう変化していくのだろうか。非常に楽しみな存在である。

☆あとがき☆
 当時の新聞記事を忠実に書き写しました。なので、年齢が違っています。
 この新聞記事が出てから約3年の年月が経過しましたが、私はいつも役者・岩崎ひろみを見続けてきました。
 派手で見た目だけが目立つような存在にはなって欲しくないと、ずっと思い続けている事も変わりません。役者はその演技でキラリと輝く物が見出せたら本望と思っているからです。
 夏の夜空に、一瞬の時だけ大きく輝き、派手な大輪の花火でなくてもいいと思っています。
 ひろみちゃんはまだまだ若い!これからどんどん年齢を重ね、人生の重みを実感として分かってきた時にこそ、本来の役者・岩崎ひろみの大輪の花が開くような気がしてなりません。
 またそれが出きる数少ない“本物”と、信じているので、これからも一生、役者・岩崎ひろみを見て応援し続けて行こうと思っています。
by REI   2004.10.20
岩崎ひろみ芸暦(詳細)はこちらから。
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